とうえつがま
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陶悦窯は佐賀県有田町にある、14代目陶芸職人の今村健一氏が営む350年以上の歴史を持つ窯です。
今村家は、慶長3年(1598年)、松浦親王が豊臣秀吉の役を演じた際に招かれて来日した古関一族とともに、現在の佐世保市三川内山で焼き物を作り始めました。寛永18年(1641年)、二代三之助が平戸藩主兼代官に任官され、三代弥次兵衛は猿のように器用なことから松浦親王から「如猿」と名付けられました。寛文4年(1664年)、幕府から天草陶石を用いた白磁製造の研究と白磁製造の賜物を平戸に献上しました。四代正右衛門、五代善右衛門、六代利右衛門、七代勝次、八代利太郎、九代幸太郎と窯を継承し、廃藩置県による窯の廃止に伴い、十代俊作、十一代八代房太郎はオランダ貿易を始め、伝統技法を守りながらコーヒー碗などの新製品を開発しました。昭和38年、十二代嘉応は窯の拡張のため有田町へ窯を移し、主に茶道具を製作しました。十三代宏は日展、フランクフルト現代工芸館、大英博物館などに出品。現在は、十四代今村健一が東西窯の名工として継承しています。
『陶悦窯の沿革』
今村家は慶長三年豊臣秀吉の文祿慶長の役の折、松浦公の招へいにより来日した巨関(こせき)とその一統により現在の佐世保市三川内山にて製陶を始めました。
寛永十八年(1641年)二代三之丞は皿山棟梁兼代官に任じられ平戸藩御用窯となり、三代弥次兵衛は猿の様に器用な事から松浦公より『如猿』の名を頂き、天草陶石による白磁製作研究と真剣献上の白磁製作により寛永四年(1664年)には百石を支給しました。善右エ門、六代利右エ門、七代勝治、八代利太郎、九代廣太郎まで御用窯として継続、廃藩置県による御用窯廃止で十代利作、十一代房太郎はオランダ貿易を始め、伝統技術を守りながら珈琲杯などの新商品開発を行いました。鹿男は有田町に窯を移し、茶道具を中心に製作、十三代 博は日展をはじめ現代工芸フランクフルト展、大英博物館展など出品。