『日本の民話集:文化解説付きの日本の民話 28 選』の著者、 高 京太による作品。
12世紀に宇治の農家が斜面で茶の栽培を始めてから、日本最高級の茶葉の一つが宇治産です。日本の子供たちによく語られる民話は、こうした優れた茶の栽培方法がどのようにして全国に広まったかを物語っています。
昔々、京都の南、宇治の茶園に太郎作という青年が働きに来ました。太郎作は勤勉で人当たりの良い男で、茶園主の娘である花は太郎作をとても慕っていました。
やがて二人は恋に落ち、農場主に結婚の許しを求めたが断られた。太郎作は花にはもっとふさわしい男がふさわしいと考え、花に何も告げずに農場を出て、故郷である岩国(現在の山口県南部)へと西へと向かった。
夢の男が去ったことを悟ったハナも、太郎作に同行するため農場を後にした。ハナの父は二人の結婚を一度も許さなかったものの、二人の深い愛に気づいていたため、ハナの次の行動を予測し、着物の中に茶の実を三つ忍び込ませていた。
岩国では、ハナとタロサクが農業で生計を立てるために懸命に働いていました。秋には子供が生まれましたが、経済的に困窮し、ハナの着物を次々と売り払わざるを得なくなりました(日本が工業化される前は、着物はすべて手織りで作られていたため高価で取引されていました)。そして、最後の着物を売り払わなければならなかったその日、袖から3粒の茶の実が落ちました。
ハナとタロサクは家の裏の丘に種を植え、すぐに畑は2倍、そして3倍と大きく成長しました。彼らのお茶は色も味も評判となり、ある日、ハナの父親を農場に招待しました。
彼らが作ったお茶は「西の宇治茶」または「西宇治の茶 西宇治の茶」と呼ばれていました。
画像 ( パブリックドメイン、ウィキペディアより抜粋): 北斎「駿州片倉茶園ノ不二」(「富嶽三十六景」) 有名な浮世絵師、 北斎の『富嶽三十六景』には、静岡県の駿河地域にある片倉茶園で茶を摘む女性のシーンが描かれています。しかし、この農園に関する記録はなく、実際の場所は謎に包まれています。